歴史と伝統息づく軽井沢の魅力をご紹介!
2011年8月11日
軽井沢が避暑地と呼ばれるようになって120年。ひとりの外国人宣教師が夏の別荘を建てたことに始まったその歴史物語にとって、「教会」という存在はなくてはならないもののひとつでした。緑の森に包まれた神聖な空間は、移りゆく時代の姿を映しながら、安らぎに満ちた場所として慕われ続け、いつしか軽井沢に聖地のイメージを浸透させていったのです。
軽井沢最初の教会はこうして生まれた ■ショー記念礼拝堂
アレキサンダー・クロフト・ショーは、明治6年に来日した英国国教会宣教師です。ある時友人と共に軽井沢を訪れ、生まれ故郷カナダトロントを思わせる爽やかな気候に感動、明治19年から避暑生活をスタートさせました。街道沿いの廃宿を改装した最初の別荘は、旅人が旅籠と間違えて昼夜問わず戸を叩くため、2年後、近くの山腹に新たな別荘を設けました。彼から軽井沢の素晴らしさを伝え聞いた外国人の友人たちが続々と避暑に訪れるようになったことから、最初の家はゲストハウスとして利用されることに。朝夕の祈りや日曜礼拝がその一室で行われていましたが、次第に手狭になったため、明治26年『ショー記念礼拝堂』の原型となる礼拝所が建てられ、大正11年に現在の十字型に整えられました。霧のヴェールに包まれた質素な佇まいは、聖地「軽井沢」の原点として、ひときわ清楚な薫りをたたえています。
ノーマン師とワルト神父の篤き想い ■ユニオンチャーチ ■軽井沢教会 ■聖パウロカトリック教会
『ユニオンチャーチ』は、ダニエル・ノーマンらカナダメソジスト派の宣教師によって、明治30年に設立された外国人のための超宗派教会です。当初は鉄道技師のクラブハウスだった建物を利用していましたが、大正7年ウイリアム・メレル・ヴォーリズによって現在の形に改築されました。数百人が収容できる大講堂では、アジア全体を網羅する宣教師大会が開かれたり、コンサートや芝居が上演されたりと、外国人たちの夏の一大拠点となりました。地元の人たちに「軽井沢の村長さん」と慕われたノーマン師は、明治38年、軽井沢初の日本人向け教会『軽井沢合同基督教会』(現『軽井沢教会』)も創設しています。
「軽井沢に初のカトリック教会を」と願った英国人レオ・ワルト神父が、昭和10年に建てたのが『聖パウロカトリック教会』です。熱心な想いに応えて敷地は佐藤万平(万平ホテル当主)が協力、設計は友人アントニン・レーモンドが手掛けました。スロヴァキア風の鐘楼を持つ緻密な木造教会はアメリカ建築学会賞を受賞した秀作で、堀辰雄の小説「木の十字架」「風立ちぬ」にも描かれ、軽井沢を代表する風景のひとつとなっています。
文化人が愛した祈りの空間 ■軽井沢高原教会
大正10年、島崎藤村・北原白秋ら当代随一の文化人を迎えて、自由教育協会主催「芸術自由教育講習会」が開催されました。星野温泉敷地内の材木小屋を利用した簡素な会場は講師陣に深い印象を残し、そのうちのひとり、聖書研究で知られる思想家内村鑑三によって「星野遊学堂」と命名されました。内村の唱えた〝誰にでも開かれた教会〟の理念は、地道な教会文化活動の中に脈々と受け継がれ、戦後、小高い丘の上を選んで『軽井沢高原教会』として新築・再生されてからも、自然に囲まれたフレンドリーな祈りの場として多くの人に親しまれています。
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軽井沢が避暑地と呼ばれるようになって120年。ひとりの外国人宣教師が夏の別荘を建てたことに始まったその歴史物語にとって、「教会」という存在はなくてはならないもののひとつでした。緑の森に包まれた神聖な空間は、移りゆく時代の姿を映しながら、安らぎに満ちた場所として慕われ続け、いつしか軽井沢に聖地のイメージを浸透させていったのです。
軽井沢最初の教会はこうして生まれた
■ショー記念礼拝堂
アレキサンダー・クロフト・ショーは、明治6年に来日した英国国教会宣教師です。ある時友人と共に軽井沢を訪れ、生まれ故郷カナダトロントを思わせる爽やかな気候に感動、明治19年から避暑生活をスタートさせました。街道沿いの廃宿を改装した最初の別荘は、旅人が旅籠と間違えて昼夜問わず戸を叩くため、2年後、近くの山腹に新たな別荘を設けました。彼から軽井沢の素晴らしさを伝え聞いた外国人の友人たちが続々と避暑に訪れるようになったことから、最初の家はゲストハウスとして利用されることに。朝夕の祈りや日曜礼拝がその一室で行われていましたが、次第に手狭になったため、明治26年『ショー記念礼拝堂』の原型となる礼拝所が建てられ、大正11年に現在の十字型に整えられました。霧のヴェールに包まれた質素な佇まいは、聖地「軽井沢」の原点として、ひときわ清楚な薫りをたたえています。
ノーマン師とワルト神父の篤き想い
■ユニオンチャーチ
■軽井沢教会
■聖パウロカトリック教会
『ユニオンチャーチ』は、ダニエル・ノーマンらカナダメソジスト派の宣教師によって、明治30年に設立された外国人のための超宗派教会です。当初は鉄道技師のクラブハウスだった建物を利用していましたが、大正7年ウイリアム・メレル・ヴォーリズによって現在の形に改築されました。数百人が収容できる大講堂では、アジア全体を網羅する宣教師大会が開かれたり、コンサートや芝居が上演されたりと、外国人たちの夏の一大拠点となりました。地元の人たちに「軽井沢の村長さん」と慕われたノーマン師は、明治38年、軽井沢初の日本人向け教会『軽井沢合同基督教会』(現『軽井沢教会』)も創設しています。
「軽井沢に初のカトリック教会を」と願った英国人レオ・ワルト神父が、昭和10年に建てたのが『聖パウロカトリック教会』です。熱心な想いに応えて敷地は佐藤万平(万平ホテル当主)が協力、設計は友人アントニン・レーモンドが手掛けました。スロヴァキア風の鐘楼を持つ緻密な木造教会はアメリカ建築学会賞を受賞した秀作で、堀辰雄の小説「木の十字架」「風立ちぬ」にも描かれ、軽井沢を代表する風景のひとつとなっています。
文化人が愛した祈りの空間
■軽井沢高原教会
大正10年、島崎藤村・北原白秋ら当代随一の文化人を迎えて、自由教育協会主催「芸術自由教育講習会」が開催されました。星野温泉敷地内の材木小屋を利用した簡素な会場は講師陣に深い印象を残し、そのうちのひとり、聖書研究で知られる思想家内村鑑三によって「星野遊学堂」と命名されました。内村の唱えた〝誰にでも開かれた教会〟の理念は、地道な教会文化活動の中に脈々と受け継がれ、戦後、小高い丘の上を選んで『軽井沢高原教会』として新築・再生されてからも、自然に囲まれたフレンドリーな祈りの場として多くの人に親しまれています。