風立ちぬ、いざ生きめやも 軽井沢を愛した堀辰雄

堀辰雄は軽井沢と最もつながりの深い文学者として知られている。2013年夏、宮崎駿監督『風立ちぬ』の封切をきっかけに、堀文学の精神性が再び脚光を浴びている
が、高原の風景をモチーフにした小川のせせらぎのように繊細な文体は、70年以上の時を経た現在でも、少しも色あせることなく人々を魅了する。
軽井沢探訪 堀辰雄

軽井沢を文学人生の舞台に
明治37年、東京麹町に生まれた堀辰雄は、2歳で母・志氣とともに向島に移り住み、下町の環境に育まれて大人になった。
大正12年、中学の校長の紹介で室生犀星と知り合った辰雄は、その夏、彼に誘われて初めて軽井沢を訪れている。大正末期の軽井沢は、外国人を中心に5千人もの避暑客が集う国際リゾートそのもの。19歳の辰雄はたちまちその光景に心奪われ、「一日ぢゅう彷徨ろついている。みんな、まるで活動写真のようなものだ、道で出遭うものは、異人さんたちと異国語ばつかりだ…」と、興奮した口調で親友の神西清に手紙を送っている。
10日ほど避暑を満喫して東京へ戻った辰雄を、不運なことに関東大震災が襲う。本人は九死に一生を得たものの、誰よりも大切な母を失ってしまうのである。

 

生涯の父、芥川龍之介との出会い
同じ大正12年の秋、辰雄は犀星の紹介で、生涯文学の師と慕うことになる芥川龍之介に出会う。憧れの龍之介を介して歌人片山廣子とその娘總子、萩原朔太郎といった華麗な交際に加わり、それがのち
に『聖家族』『ルウベンスの偽画』『菜穂子』といった作品へと昇華していくのだが、23歳の時、その精神的な父と仰いだ龍之介が自殺を遂げたことで、辰雄は再び激しい衝撃を受けることになる。
血縁への過剰な気遣いが芥川の精神を切り裂いたと考えた辰雄は、同じ気質を持つ者として、それとは正反対の方法を選びとることで、人生を生き抜こうと決意した。震災で母との糸が断ち切られたことも手伝って、濃い人間関係にがんじがらめの下町社会ときっぱり縁を切り、そこから最も遠い場所として日本の中の外国、軽井沢を文学人生の舞台に選んだのである。

 

死の影が生の美しさを照らす『風立ちぬ』
小説『風立ちぬ』は、胸を病み軽井沢に静養に来ていた矢野綾子との出会いから婚約、富士見高原療養所での半年にわたるふたりの入院生活、綾子を失ってからの軽井沢での様子を題材にした作品で、風、雲、雪、植物といった辰雄が好んですくい上げる自然が宝石のごとく散りばめられ、フランス近代派の影響を受けた美意識あふれる文体が全編を貫いている。
「風立ちぬ、いざ生きめやも。」風が吹いてきた、さあ、生きなければ…フランスの詩人ヴァレリーの『海辺の墓地』から引いたこの一節は、身近な人を次々に失いながらも、自らは決して死を選ばないと心に誓った辰雄が、しぼり出すように生み出したフレーズなのである。
死を透過しながら現世の真の美しさに気づく主人公のせつない心情は、戦争が支配する不穏な時代の中で、極上のロマンを渇望する読者に熱狂的な支持を受け、昭和の忘れえぬ名作となった。

軽井沢探訪 堀辰雄

堀辰雄文学記念館
堀辰雄が晩年の日々を送った追分の旧宅に設けられた文学記念館。関連図書や資料が読める閲覧室のほか、展示棟、書庫、文学などが点在している。

 

軽井沢高原文庫
堀辰雄はじめ室生犀星・立原道造・有島武郎・中村真一郎ら、軽井沢ゆかりの文学者の業績を紹介する文学館。塩沢湖畔の軽井沢タリアセンに隣接。

 

 

【参考文献】
堀辰雄全集第一巻『風立ちぬ』堀辰雄(新潮社)/『堀辰雄文学記念館常設展示図録』(堀辰雄文学記念館)/『芥川・堀・立原の文学と生』中村真一郎(新潮選書)/『火の山の物語-わが回想の軽井沢』中村真一郎(筑摩書房)/名作旅訳文庫5『風立ちぬ』堀辰雄(JTB パブリッシング)

 

 

軽井沢・撮影スポットめぐり 「美しい村」の風景に誘われて…

流れる水や光がそのままベストショットに

軽井沢には「美しい村」の名にふさわしい豊かな自然が満ちている。別荘地の苔むす小径、鳥たちが休む静かな湖畔、厳かな空気を湛える礼拝堂…。ふとカメラのレンズを向ければ、そのまま1枚の作品になりそうなロケーション。そこには中山道の宿場町であった頃からの人の営みが見え隠れし、国内有数の高原のリゾート地として発展してきた歴史が息づいていて、写真の中にも、よりいっそうの面白みを加えてくれる。いつ、どんな場所に出かけ、どこでシャッターを切るかは自分次第。有名な観光エリアや撮影スポットでも、ちょっと立ち位置を変えたり、アングルを変えたりするだけで、個性的な軽井沢風景をアルバムに残せそうだ。

 

 

撮影ポイント探しはマナーを守って安全に

撮影の際にはもちろん、自然や、そこに住む人のプライベートに十分配慮したい。貴重な植物の自生地に踏み込んだり、野生動物や野鳥の生態をおびやかしたり、また自分自身が山や渓谷内の危険な場所に入り込むことがないように、事前に情報収集をしておくのもいい。個人の別荘の敷地に立ち入ったり、無断で撮影するのも、もちろんNG。周囲への気配りを、カメラと一緒に携えておけば、より快適な撮影スポットめぐりを楽しめる。

 

塩沢湖塩沢湖
塩沢エリアのほぼ中央、軽井沢タリアセン内にある塩沢湖。一説には水神である竜が棲むといわれ、湖畔を散策すれば、神様の住まいにふさわしい癒しのパワーを感じられそうだ。周辺には明治・昭和初期の建造物が多く移築され、豊かな緑とのコントラストは、思わずカメラに収めたくなるほど絵画的。湖に浮かぶ中の島には小さな弁財天像が祀られており、優しげな表情に手を合わせれば、自然と穏やかな気持ちが満ちてくる。

 

 

深山荘深山荘
1944(昭和19)年からスイス公使館の疎開別荘として使われた「深山荘」は、ポツダム宣言の受諾交渉が行われ、さらに宣言受諾の電報が打たれたという日本史上の重要施設。一部3階建ての趣ある建物なので、はす向かいの三笠ホテルと合わせて、カメラ片手に洋風建築めぐりをしてみるのもいい。

 

 

 

 

しなの木しなの木
群馬県との県境にある熊野皇大神社には開運、縁結びにご利益があるというご神木「しなの木」が。樹齢850年以上という大樹の前に立てば、それだけで大自然の力を感じさせてくれる。社殿に参拝後、しなの木に手を合わせ、木の周囲をぐるりと一周すれば寿命が1年延びるのだとか!?

 

 

 

 

室生犀星記念館室生犀星記念館
大正~昭和中期を代表する作家・室生犀星は、軽井沢をこよなく愛した文人のひとり。1931(昭和6)年に建てた別荘では、亡くなる前年まで30年もの間、毎夏を過ごし、堀辰雄や川端康成、志賀直哉ら若き作家たちと交流を深めていた。この別荘を一般開放した「室生犀星記念館」は、苔むす庭に囲まれ、しっとりと落ち着いた佇まい。犀星自らが築いた庭と簡素な日本家屋の調和は、そのままで一幅の絵のようだ。

 

 

 

追分追分
追分宿周辺の街道沿いは、この春までに電線の地中化工事などを終え、歴史的な風情を残した美しい町並みに生まれ変わった。石畳の道を歩けば、文豪ゆかりの旅籠や、ふと目を引く骨董店、古書店も。建物のかたちをした木の照明など、雰囲気ある小物たちも、あわせてカメラに収めてみたい。

 

 

 

 

 

 

吊り橋吊り橋
旧軽銀座の奥、旧碓氷峠へ続く峠道へと登れば、そこは深緑と静謐な森の空気が織りなす絶好の撮影スポット。旧碓氷峠遊覧歩道の途中には、古き良き時代をしのばせる木の吊り橋などもかかり、景観のアクセントになってくれる。

 

 

 

 

 

 

泉洞寺泉洞寺
古くから頬に手を当てた「歯痛地蔵」が有名な泉洞寺に、今年からちょっと変わったお地蔵様が仲間入り。その名もストーンの上に鎮座し、ブラシを抱えた「カーリング地蔵」。境内を見回せばほかにも、鉢巻締めて本を開いたり、徳利を下げたり、いろんなご利益のありそうなユニークなお地蔵様が並んでいる。

 

 

軽井沢マップ

 

町と人を元気にする!軽井沢の新施設へ出かけよう ! 新生『中軽井沢』

この春、待望の南口が完成し大きくイメージを変えた、しなの鉄道中軽井沢駅が話題を集めている。駅には地域交流施設「くつかけテラス」も隣接。旧中山道「沓掛宿」の名前を残す新しいスポットが、新しい賑わいをつくり出してくれそうだ。中軽井沢駅周辺地図

くつかけテラス外観

モダンで明るい中軽井沢の交流拠点

スタイリッシュに変貌した中軽井沢駅は、2階の連絡通路で南北の入口をつなぐ橋上駅。コンコースからは広いガラス窓を通して青空や浅間山の姿が見え、電車を待つ人や駅に降り立った人の旅情をそそる。これまで北側からのみの利用だったのが、南北を自在に行き来できるようになったことで、より安全で快適に、駅とその周辺を歩けるようになった。南北の駅前にはロータリー広場やミニパークが整備され、多くの人が集まる憩いのスペースになりそうだ。 駅舎に隣接する「くつかけテラス」は4月1日オープン。中軽井沢図書館や観光案内所、カフェ、ショップなどを備えた地域交流拠点となる。名称は江戸時代、中軽井沢駅周辺が「沓掛宿」と呼ばれていたことにちなみ、公募で名づけられた。1階東側に並ぶのは5店のチャレンジショップ。町内で開業したい人を応援するために、2年間の期限を区切って町が無料で貸している小店舗だ。駄菓子屋やアクセサリーショップ、雑貨店など、さまざまな表情のショップがあるので、ひとつひとつ覗いていくのも楽しい。正面入口をくぐると観光案内所が、西側には中軽井沢図書館がある。くつかけテラス内観

軽井沢町にはもともと離山に町立図書館があるが、そちらはより静かな大人向けの場所として、新図書館は子ども連れでも気軽に利用できる場所として、役割を分けるようになった。絵本や児童書が充実した1階児童エリアは、小さなソファーや靴を脱いで座れるスペースがあり、おはなし会などもできる雰囲気。大人向けに料理や暮らし関連の本も揃っていて、親子でゆっくり過ごせるスペースになっている。雑誌や無線LANのフリースポットを備えた1階ブラウジングエリアは、雑誌などを繰りつつソファー席で静かに寛げる場所。浅間山を一望する2階には、一般書架や閲覧デスク、有線LANを使えるカウンター席などが揃い、どちらも、水筒などキャップ付き容器であればドリンクの持ち込みもできる。2階には、ギャラリーやイベントなどにも使える多目的室や大小の会議室がある。たとえば絵画を展示したり、朗読会や講演会を開いたり、使う人によって、可能性はさまざまに広がる。駅との連絡通路横には、キッシュや自然派メニューが並ぶお店も。テイクアウトできるので、図書館学習の合間や中軽井沢散策の前に利用するのもいい。夜は立ち飲みのできるバルになり、電車を待つ間も楽しませてくれそうだ。

 

軽井沢アイスパークの写真国内最大級のカーリングホール誕生
中軽井沢に隣接する塩沢エリアでは、風越公園の一角に6シートの通年型カーリングホール「軽井沢アイスパーク」が、4月1日オープン。国際大会も開催できる本格設備で、3月30日からのオープニングイベントを皮切りに、今後は国内外の強豪がここで熱戦を繰り広げる。また、今までカーリングをしたことがないビジターも気軽にプレイできるのが魅力。冬期は屋外スケートも楽しめる。軽井沢を拠点に活躍するチーム、中部電力カーリング部(女子)やSC軽井沢クラブ(男子)の、ソチ五輪に向けた躍進も楽しみなところ。競技を一度体験してみれば、五輪の応援にもいっそう熱が入りそうだ。15年前、長野五輪カーリング競技の会場として名を馳せた軽井沢。軽井沢アイスパークのオープンで、今後ますます「カーリングの町」として国内外に知られていくだろう。

 

 

Karuizawa Energy “軽井沢パワースポット”を巡る

祈りを受け継ぐ簡素な教会
紅葉や雪に彩られる清らかな滝
清々しい雰囲気に満ちた神々の社
軽井沢には、訪れる人にエネルギーを吹き込んでくれる
心地良い場所がたくさんある
今回は、読者アンケートに寄せられたスポットを中心に
ドライブを楽しみながら
たくさんのエネルギーをもらってきた

  

パワースポット絵画のような水辺から江戸人も訪れた神域へ

スタートは雲場池。紅葉に縁取られる秋、静まる水面に雪が映える冬など、いつ訪れても絵画のような美しい景色を見せてくれる場所だ。池を渡る風が心地よく、アンケートでも「癒される」「気持ちが軽くなる」と記す人が多い。離山登山道へも近いので、時間があればトレッキングを楽しむのもいい。標高1256m、東屋の佇む山頂までは片道1時間ほどの道のりだ。
雲場池から旧軽銀座を抜け、峠道をのぼってゆくと旧碓氷峠に出る。頂上近く、長野県と群馬県の境に建つ熊野皇大神社は、中山道の旅人たちにも「碓氷峠の権現様」と呼ばれ敬われてきた古社だ。県の天然記念木でもある樹齢約850年のシナの木は、「この木の前にいるだけでパワーをもらえそう」など、特に良い気が集まるご神木として知られている。

 

白糸のように流れる神秘的な水風景

いったん旧軽井沢ロータリーまで下り、三笠通りを辿れば、旧三笠ホテルを中心に古き良き軽井沢の面影を残すカラマツの林が続く。北原白秋の詩を思わせる静かな雰囲気を、冷えた空気と共に味わっていこう。爽やかなドライブを楽しむなら、旧三笠ホテルを過ぎ、料金所を経て白糸ハイランドウェイを峰の茶屋へと抜けるのがいい。途中にある白糸の滝は、浅間山の伏流水が、絹糸のように細く繊細に岩肌を流れ落ちる幻想的な空間。「マイナスイオンを感じる」「苔と水との調和が良い」とアンケートの得票数が第1位で、静かに澄み渡る水辺に立てば涼しい風が心地良く、確かに自然のエネルギーが身体中に充ちてくるようだ。

 

豊かな自然と調和する心地よいモダンエリア

浅間山 峰の茶屋から鬼押ハイウェイに入れば、浅間山の絶景を間近に望むスポットが点在している。軽井沢町内のどこからでも見られる浅間山だが、ここまで来ると雄大な山容と共に、エネルギーに満ちた地球の躍動を感じることさえできそ軽井沢高原教会うだ。中軽井沢方面へと下れば、温泉やホテルなど、多彩な施設が周囲の環境と調和して建つ歴史と文化のエリア。千ヶ滝や野鳥の森周辺など、「空気がきれい」「清々しい気持ちになる」と、軽井沢の豊かな自然を満喫できる散策路が整備されている。静かな谷あいを流れ落ちる千ヶ滝は、滝に至る遊歩道沿いの渓谷風景も美しいスポット。日本で初めて国設の野鳥の森として指定された「軽井沢野鳥の森」では、小鳥たちの声を聞きながら、のどかな森林浴を楽しめる。特に木の葉が落ちた冬は、エサを探して飛び回る野鳥の姿を観察するのに適したシーズンだ。ドライブの締めくくりには、軽井沢高原教会や石の教会内村鑑三記念堂で、日常を離れ、力強い祈りを感じていくのもいい。星野温泉トンボの湯の源泉掛け流し天然温泉で、紅葉や雪景色を眺めつつゆっくり温まっていけば、旅の途中でもらったパワーが身体の中にしっかり充填されそうだ。

ハートマークを探そう
  
幸せのハートマークを見つけよう

よく晴れた日、浅間山の山肌に浮かび上がる大きなハートマーク。中軽井沢や南軽井沢方面から望めるこのハート、カップルで見つければ幸せが訪れるとか。 「ムーゼの森」のピクチャレスクガーデンでは、ポール・スミザーが手がける豊かな植栽に囲まれて、とあるエリアの石組みの中に、はっきりとハート型をした浅間石が!なんだかいいことがありそうなハートマーク。ウエディングの町として知られる軽井沢だけに、探せばまだまだ見つかるかも。

パワースポットマップ

 

高原の夏の恵み -豊かな土と風が育む野菜たち-

色鮮やかなトマトや朝露のこぼれそうなレタス。街かどのショップで、レストランの軒下で、軽井沢のあちらこちらで、瑞々しい野菜に出会えるこの時期つくり手こだわりの味を楽しみながら、高原の自然をめいっぱい、体の中に取り込んでいこう

 

JA佐久浅間軽井沢直売所と田七屋直売所で知る地物の旨さ
しなの鉄道中軽井沢駅にほど近い、「JA佐久浅間軽井沢直売所」は、新鮮な地元の野菜が揃う人気のスポットだ。夏の最盛期には、多くの人がオープン前から列をつくり、朝採れたばかりの艶やかな根菜や露の滴る青々とした葉もの野菜を求めている。
中でも注目されているのが、軽井沢町内で育てられた〝軽井沢霧下野菜〞。朝霧のまく高原独特の気候が、しっとりと土の表面を湿らせ、実る作物を甘く、柔らかく育てるため、他所の作物と差別化するために商標登録されたものだ。特にキャベツや白菜、レタスなどの葉物の柔らかさは格別。「白菜もぜひ生で味わって、旨みを確かめて」と運営委員会長の柳沢昌隆さんが言うように、その味の濃さ、深さは、サラダでシンプルに噛みしめたい。

 

土壌づくりで変わる野菜の滋味
さまざまなショップが立ち並び、多くの人で賑わう軽井沢本通りの一角でも、ふと瑞々しい大地の香りが感じられる場所がある。軒先に積まれた葉野菜やトマト、キュウリ…。軽井沢近郊の畑でEM自然農法を手掛ける「田七屋」のアンテナショップだ。ここに並ぶ野菜やハーブ、果物はすべて、自社農場かEM自然農法を取り入れた契約農家で採れたもの。「EM(=有用微生物群)が多く存在する健康な土壌で育てられた作物は、病気や害虫に強くなるため無農薬・低農薬で栽培でき、必然的に味が変わる」という代表取締役・小泉稔さんの言葉通り、その味わいは驚くほど滋味深く、鮮やかだ。例えば、パリッと水洗いしたレタスは、何をつけなくてもエグみがなく、果物のような甘ささえ感じるほど。話題のトウモロコシやカボチャ(コリンキー)はもちろん、ズッキーニまで、品種によっては生食できるという。

 

戸塚酒造店の焼酎用サツマイモ軽井沢発、地元育ちの芋焼酎
軽井沢をはじめ浅間山麓のこの地には、より良いものを作ろうと研究を重ね、情熱を傾けて、農業に取り組んでいる生産者が多い。野菜、果樹の専門家だけでなく、加工品を製造する人たちが、そのこだわりから自ら畑を耕し、種をまいて、原料を栽培することもある。中山道岩村田宿で江戸時代から続く老舗の酒蔵「戸塚酒造店」では昨年から、自家栽培の芋で醸した芋焼酎〝こてさんね〞を町内限定で販売し、評判を呼んできた。原料はすべて軽井沢の自社農園で無農薬栽培したサツマイモ。肥料には焼酎粕を使い、蔵元・蔵人が一丸となって大切に育んだ芋は、本格芋焼酎といえば九州という従来のイメージを覆し、香り豊かで飲みやすい高原の芋焼酎として結実している。

 

遠山園芸朝の収穫がメニューに並ぶ豊かさ
名立たるレストランのシェフが直接畑を訪ね、その日その日の食材を仕入れていくという光景も、自然と街との距離が近い軽井沢では珍しくない。「遠山園芸」の2代目、遠山冬樹さんは追分の一角で、販売用の野菜苗や花苗を育てる傍ら、少量多品種の野菜を育てている。たとえばシソ科の一種であるセイボリーやノコギリソウとも呼ばれるアキレア。多種多様なイタリア野菜やハーブ類をはじめ、八町キュウリや軽井沢甘南蛮など信州生まれの伝統野菜も手掛け、地元のレストランやピッツェリア、ベーカリーに重宝されている。遠山さんいわく「要望に応えていくうちに、いつのまにか種類が増えていた」そう。土づくりは堆肥をベースに、肥料もサプリメント的に量を調整しながら利用し、安全性や美味しさを保ちながら、安定した供給ができるように心がけている。
土壌づくりや農法にこだわり、積極的に作物と取り組む農のプロフェッショナルたち。農家自身が連携して設ける直売所や、ハルニレテラスで年3回開かれる〝軽井沢マルシェ〞など、彼らの真摯な姿勢や志に直接触れられる場所も近年増えて、多くの人を惹きつけている。豊かな自然と心ある生産者に育まれた軽井沢の野菜は、これからも避暑地の上質な食文化を力強く支えてくれるに違いない。

 

[取材協力]JA 佐久浅間軽井沢直売所/田七屋/戸塚酒造店/遠山園芸

 

軽井沢の庭に憩う

凍えるような空気がゆるみ、山や街に、わずかずつ色彩が戻ってくる軽井沢の春。コブシの白い花を先駆けに、桃や桜のつぼみがほころび始め、地面にも芽吹きの気配が感じられます。こんなシーズンに出かけたいのは、自然の変化を身体で感じられる花の庭、草木の庭。広大なナチュラルガーデンやローズガーデン、アートと溶け合う美術館の庭など、自然豊かな軽井沢には、魅力的な庭園が点在し、浅い春にも花々の息吹を感じさせてくれます。

 

軽井沢の庭園

水辺を彩るバラたちの競演
イングリッシュローズ、オールドローズを中心に、見事な庭園デザインを堪能できるのが『軽井沢レイクガーデン』。湖を中心に5つのガーデンエリアがレイアウトされ、水辺を散策しながら、花たちの競演を楽しめます。バラに先駆けて4月・5月の庭を彩るのは、こぼれんばかりの枝垂れ桜や凛と立つ日本水仙。トピアリーを飾る6月のクレマチスも見事です。
バラの1番花が咲きだす6月は、ガーデンのトップシーズンの始まりでもあります。宿根草を中心としたボーダーガーデンやシンメトリーにデザインされたラビリンスガーデン、さまざまな虫や鳥が集うウッドランドなど、ひと足ごとに表情を変える庭園風景は、訪れる人を惹きつけてやみません。
水辺に多くの美術館や歴史的建造物を配した軽井沢タリアセンも、美しいバラ風景を楽しめる場所です。塩沢湖西南岸には約180種1800株のバラを植えた『イングリッシュローズ・ガーデン』があり、初夏から秋バラが盛りとなる9月まで、艶やかかつ軽井沢の庭に憩う上品な色と香りが一面に広がります。紫色の〝ラプソディー・イン・ブルー〞、大きなロゼット咲きの〝マサコ〞など、珍しい品種を見られるのも魅力です。

 

野趣にあふれるナチュラルガーデン
軽井沢の原風景を思わせる素朴かつダイナミックな景観を生んでいるのは、ムーゼの森に広がる『ピクチャレスクガーデン』です。イギリス出身の若きガーデナー、ポール・スミザー氏が設計したガーデンには、木々や低層植物が緑の陰影を連ね、ところどころに宿根草が可憐な花色を添えて、深い森の中を歩いているような心地にさせてくれます。
点在する美術館などを巡りながら、風に揺れるカヤの葉ずれの音を楽しみ、ギボウシやシダの葉に落ちる木漏れ日を追いかけつつ歩く…。物語の世界がそのまま立ち現われたような美しい庭は、今シーズンさらに整備され、いっそう深く、自然の息吹に満ちた変化を遂げています。

 

美術館の庭を鑑賞する楽しみ
庭園とアートを同時に楽しめる場所はほかにも多くあります。せせらぎに沿って回遊するセゾン現代美術館の庭園は、彫刻家・若林奮氏のプランニングによるもの。ゆるやかに傾斜する庭には、自然の角度を計算して若林氏の彫刻作品が点在し、遊歩道や鉄の橋、植栽に至るまで、ひとつの緻密な芸術作品として鑑賞することができます。
文化学院の創設者・西村伊作が設計したルヴァン美術館は、英国のコテージのような建物と芝生の庭のコントラストが印象的。野草も野にあるままに置くという庭は、自然で独自な人格を育む文化学院の教育理念をそのまま表しているようです。

 

歴史と自然に彩られた大らかな庭
レストランやカフェのガーデンテラスで、さりげなく植えられた珍しい山野草に出会ったり、巣箱に集う野鳥の姿を観察したりできるのも軽井沢ならでは。それぞれ趣向を凝らされた庭にオーナーの心配りを感じるのは、カフェタイムのちょっとした楽しみです。
花あり、木陰あり、水辺あり。いわば街全体が大きなガーデンのような軽井沢。何度訪れても飽きることがない表情豊かなこの庭を、このシーズンはどこから歩いてみましょうか。

 

[取材協力]軽井沢レイクガーデン/軽井沢タリアセン/ムーゼの森/㈶セゾン現代美術館

 

軽井沢ウエディングの品格

誓いの場にふさわしい静謐なチャペル。木々の緑と光に彩られた森のガーデン。季節の恵みを楽しむ祝福のテーブル。長い時の中で〝祈りともてなしの文化〞を育んできた避暑地・軽井沢には、神聖な一日のために、特別な時間を演出するとっておきの場所があります。
 新しい生活への一歩を踏み出すふたりに。その時を見守るすべてのゲストに。忘れられないメモリアルを刻むのが、軽井沢ウエディングです。

 

祈りの場の構築と定着
カナダ人宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーが、二手橋そばの小山に小さな別荘を建てたのが明治21年のこと。中山道の廃宿を移築改修したこの建物が、のちに〝教会の町・軽井沢〞を生み出すきっかけとなりました。明治時代、多くの外国人宣教師や外交官たちショーに倣って次々とこの地を訪れ、旧軽井沢を中心に、布教と祈りの慎ましやかな場を築いていったのです。
ショーが布教活動を行った教会は、今も「軽井沢ショー記念礼拝堂」として二手橋近くにたたずんでいます。下見板張りのシンプルな建物は、当時の宣教師たちがめざした簡素な暮らしを体現するかのように周囲の自然に溶け込み、決して主張しすぎることはありません。〝愛の教会〞の呼び名で堀辰雄の小説にも登場する「聖パウロカトリック教会」や、英国国教会の伝統を受け継ぐ「旧軽井沢礼拝堂」も、旧軽井沢エリアを代表する由緒ある教会。静謐かつ神聖な雰囲気の中に、明治・大正期からの、本物の信仰と歴史に支えられてきた風格を感じさせます。

 

重要文化財「旧三笠ホテル」での公開挙式誰もを受け入れる〝おもてなしの街〞
避暑に訪れる外国人が増えるにつれ、軽井沢で結婚式が挙げられることも多くなっていきました。やわらかな木漏れ日の下、陽光に映える純白のドレスと新郎新婦を迎える人びとの笑顔、温かな祝福の拍手。教会を舞台に繰り広げられる幸せなワンシーンへの憧れは、今も昔も、きっと変わらなかったにちがいありません。
そんな憧れを懐広く受け入れるように、星野エリアの「軽井沢高原教会」は文化人らが集った〝芸術自由教育講習会〞の自由闊達な風潮をいしずえにして、1974年には初めて信者以外の結婚式を開催し、軽井沢ウエディングの先駆け的存在となりました。
やがて、避暑地・軽井沢の〝もてなし〞の思想は、明治、大正期を経て、町のすみずみに定着していきました。旅籠「亀屋」が、軽井沢で最初の洋風ホテル「亀屋ホテル」(現在
の万平ホテル)としてオープンしたのは1894年のこと。次いで「軽井沢ホテル」や「三笠ホテル」が開業し、洋食やベッドのある本格的なホテルとして、清涼な寛ぎを提供するようになります。上流の人びとが求めるものに徹底的に対応する迎賓文化の成熟は、教会とともに、軽井沢にウエディング文化が根付く重要な要素となったのです。

 

想い出に残る一生に一度のその日のために
2009年4月、軽井沢観光協会の取り組みから、「軽井沢ウエディング協会」が発足しました。これは町内の教会や式場が中心となり様々な施設が連携し、軽井沢全体を〝ウエディングの街〞として知ってもらうためのもの。軽井沢ウエディングの歴史を学んだり、ウエディングのコーディネートやトレンドの勉強会を開催したり、さまざまなイベントを通して〝幸せの街〞をアピールしています。パンフレットとして発行された小
さな絵本『また軽井沢で会えたらいいね』では、プロポーズに悩む青年と〝ショーさん〞の交流をかわいらしく描きながら、軽井沢や周辺地域の魅力も紹介。地元小学生を対象にした模擬結婚式や、トレッキング、星空ツアーなどの企画も充実しています。
クラシカルな教会式から親しい人の前で誓いを交わす人前式まで、今や、結婚式のかたちは式を挙げる人の数だけあります。人生で一度きりの晴れの舞台を、どれだけその人らしく、ゲストへの思いの伝わるものにするかを模索することが、長きにわたって多くのカップルを受け入れてきた〝ウエディングの街・軽井沢〞の役割でもあるのです。

 

軽井沢遺跡散歩

軽井沢…この町が「避暑地」となってから百年あまりの歴史はよく語られるところですが、そのずっと昔はどんな場所だったのでしょう?町内にあるふたつの遺跡をたずね、浅間山の麓で営まれた“いにしえの人々”の暮らしに想像をめぐらせてみましょう。

 

長倉の牧長倉の牧(まき)〈平安時代〉
国道18号線を中軽井沢から小諸方面に進み、上ノ原信号を右に曲がった道が、通称〝ロイヤルプリンス通り〞です。この道を1㎞ほど進んだ右手の別荘地の小径に「長倉の牧」と呼ばれる平安時代の牧場の土手跡が残っています。
延長5年(927)に制定された延喜式(えんぎしき)( ※1)では、五畿七道四百二ヶ所の宿駅名と、それぞれの駅馬・伝馬( ※2)の数が定められました。この駅制の中で初めて「長倉」という名称が登場し、その場所は現在の中軽井沢付近だったのではないかと考えられています。
当時の朝廷は、交通手段としての駅馬・伝馬のほかに、蝦夷(えぞ)征伐などの軍事用、皇室要人の乗馬用と、馬の需要が非常に高く、奈良時代中期になると、信濃・甲斐・武蔵・上野の四カ国に計三十二の御牧(みまき)(官営牧場)が設置され、貢馬(こうば)が義務づけられました。
佐久地方「望月・塩野・長倉」の三牧場からは、毎年八十頭の馬を差し出さなくてはなりませんでした。火山灰地には良質の牧草が育ち湧水も豊富ですが、ひとたび浅間山の噴火が起こると降灰被害で牧草が大打撃を受けるため、貢馬の苦労は並大抵のものではなかったと思われます。
現在この付近以外の土手跡はほとんど消滅してしまいましたが、当時は離山(はなれやま)の南麓から追分まで東西一直線に連なり、草をはむ馬たちののどかな風景が広がっていたと想像されます。

※1.平安初期の禁中の年中儀式や制度などの事を漢文で記した、律令の施行細則。
※2.駅馬は駅ごとに完備された官馬。伝馬は使者や物資を中央から地方へ運ぶために乗り継ぐ馬。

 

茂沢南石堂遺跡

茂沢南石堂遺跡(もざわみなみいしどう)〈縄文時代〉
釜ケ淵橋を南に進み、杉瓜入口バス停を右折直進すると杉瓜の集落に入ります。そこから右へ回り込み、自由が丘別荘地の一帯を抜けると、目の前に広大な畑が開けてきます。右方向奥に目を凝らせば、落葉松林を背に柵で囲まれた小さな広場が現れ、地面から古代の住居址と思われる敷石群が顔をのぞかせています。これが軽井沢町指定文化財「茂沢南石堂遺跡」で、環状列石(集団墓地)の中には珍しい箱型石棺も見てとれます。
昭和33年、この近辺で行われた道路改修工事の最中に大量の土器や石器が出土したため、昭和36年から約20年間にわたり東京大学・三上次男教授を中心とするメンバーによって発掘調査が行われました。その結果、縄文時代中期・後期のものと思われる遺跡が続々と発見されたのです。
竪穴住居はゆがんだ円形タイプが多く、柱穴が多いことも特徴です。柱を残したまま住居を廃棄していることや、発見された土器類が北関東との交流を物語っていることから、しばらくこの地に住んでは去ってゆく、その繰り返しが軽井沢と北関東の間で行われていたのではないかと考えられています。
縄文時代後期になると気候の寒冷化がはじまり、自然環境の厳しさは人々の信仰心を高める結果につながりました。家々からは石棒や丸石など精神生活にかかわる出土品が多数発見され、篤い信仰心が漂っています。縄文後期の中ごろには急激な寒冷化が進み、それ以降この地に先史時代の人々の足跡は見当たらなくなりました。

※深鉢形土器や石皿などの出土品は軽井沢町歴史民俗資料館で観ることができます。

 

軽井沢遺跡散歩
参考文献:「軽井沢町茂沢南石堂遺跡」 (軽井沢町教育委員会 編)、「軽井沢」 (長野県軽井沢高校 地域圏学習研究委員会 編、「軽井沢町誌」 (軽井沢町)

 

名探偵たちの軽井沢 ミステリー小説の舞台として

大正・昭和の始めから数多くの文士たちに愛された軽井沢は、作品の背景としてさまざまな文学に登場してきました。霧深いエキゾチックな避暑地は、その非日常性や美しい自然風景から、人間の心情を描き出すにはこの上ないステージだったのでしょう。それはトリックを駆使し、ロジックを積み上げる推理小説の世界でも例外ではありません。古今東西、本格と謳われる大家の作品から誰もに親しまれるライトノベルまで、ミステリー小説の中からも多種多様な軽井沢を覗くことができます。

ミステリー小説の舞台として
 
人気作家を魅了する場所

軽井沢に居を構え、自身も「軽井沢のセンセ」として作中に登場する内田康夫は、〝軽井沢ミステリー〞の代表的作家といえるでしょう。名探偵・浅見光彦は昭和57(1982)年の初登場以来100作品以上、全国津々浦々で難事件を解決し、塩沢湖そばにファンクラブハウスも建てられています。彼が軽井沢で謎解きをしたのは、意外にも「軽井沢殺人事件」の1冊のみですが、これは同じ著者による別シリーズの名探偵、信濃のコロンボ・竹村岩男警部との対決が見られる貴重な作品。作中では、旧軽銀座の街並みや離山の意外な表情なども鮮やかに描かれ、物語の中核を築いています。竹村警部は「追分殺人事件」でも、軽井沢と東京の事件を追って活躍。ここでは歴史を語る宿場町の風情が、追分節の哀切な曲調をともないながら、丁寧に描かれました。
江戸川乱歩賞作家の斉藤栄も、軽井沢をこよなく愛するひとりです。タロット日美子シリーズ「日美子の軽井沢幽霊邸の謎」では、霧の渦巻く中軽井沢の豪邸を舞台に、二階堂日美子のカードリーディングによる謎解きが鮮やかに展開。「新幹線軽井沢駅の殺人」「軽井沢愛の推理日記」など、万平ホテルや旧三笠ホテルを背景に散りばめつつ、その時どきの時世を絡めた作品は、読者を常に惹きつけています。
 
探偵たちが集まるわけ
名探偵・水乃サトルの初登場作品となった二階堂黎人の「軽井沢マジック」、嵯峨島昭の長編ロマンミステリー「軽井沢夫人」、吉村達也による氷室想介シリーズ「旧軽井沢R邸の殺人」も、軽井沢の別荘を舞台に、本格的な謎解きを堪能できる作品です。新幹線開通前の軽井沢駅の雰囲気や、旧軽井沢、千ケ滝といった別荘地の描写も、現在の風景と比べながら楽しめます。
有栖川有栖作「46番目の密室」は、推理作家・有栖川有栖と〝臨床犯罪学者〞火村英生の人気コンビが、著名な推理作家の別荘で密室トリックを解き明かすストーリー。また、トラベルミステリーの巨匠・西村京太郎が綴る「ヨコカル11.2キロの殺意」は、旧信越本線の横川ー軽井沢間が事件現場で、今はなき車窓の描写に旅情もくすぐられます。
一風変わったところでは、北村薫が「街の灯」「玻璃の天」「鷺と雪」と続くシリーズで、戦前の上流階級を描き、女性運転手のベッキ―さんという魅力的な探偵役を生みだしています。彼女はどちらかというと謎解きのヒントを与える指南役。最終的に謎を解明するのは語り手の令嬢・英子で、不可思議な謎と共に、時代の空気を生き生きと伝えてくれます。英子が夏を過ごす軽井沢の風景も、旧士族の子女という新しい視点を得て、いっそう興味深く伺える作品です。
小池真理子の「恋」、宮本輝の「避暑地の猫」などは、殺人事件を扱いながら、ミステリーというより心理サスペンスといえるでしょうか。現在軽井沢に暮らす小池氏の筆は、透き通るような自然描写を折り込み、男女の愛憎を描き出していきます。
 
ホームズも生まれたミステリーの聖地
ここで紹介したどの作品でも、落葉松並木や浅間の山容は、変わらぬ佇まいで人びとの紆余曲折を眺めています。それらが、おそらく舞台装置としての軽井沢の魅力であり、作者にこの地を描かせる理由のひとつなのでしょう。
ちなみに旧北国街道沿い、追分公園の中には名探偵の代表格シャーロック・ホームズの銅像が建っています。これは新潮文庫「シャーロック・ホームズ全集」の翻訳者・延原謙が、油屋旅館などを仕事場として、コナン・ドイルの60篇を完訳させたことにちなんだもの。追分の宿の一室、翻訳家は浅間おろしの風の音を聞きながら、遠い異国の難事件を綴り、パイプをくわえた名探偵の推理に快哉を叫んだのかもしれません。
 
参考)
内田 康夫/「軽井沢殺人事件」カドカワノベルズ・「追分殺人事件」角川文庫
斉藤  栄/「日美子の軽井沢幽霊邸の謎」中公文庫・「軽井沢愛の推理日記」G books「新幹線軽井沢駅の殺人」ジョイ・ノベルス
二階堂黎人/「軽井沢マジック」徳間文庫
嵯峨島 昭/「軽井沢夫人」光文社文庫
吉村 達也/「旧軽井沢R邸の殺人」光文社文庫
有栖川有栖/「46番目の密室」講談社ノベルス
西村京太郎/「ヨコカル11.2キロの殺意」(『特急「にちりん」の殺意』内)光文社文庫
北村  薫/「街の灯」文藝春秋・「玻璃の天」文藝春秋「鷺と雪」文藝春秋(第141回直木賞受賞作品)
小池真理子/「恋」早川書房(第114回直木賞受賞作品)
宮本  輝/「避暑地の猫」講談社文庫
コナン・ドイル[延原謙 訳]/「シャーロック・ホームズ全集」月曜書房(のち新潮文庫)

 

※文中敬称略

 

 

 

森の仲間たち ― 山里の小さな親善大使

雪の気配がやわらぎ、木々がふっくらと芽吹き始める春。厳しい冬を耐えてきた森の動物たちにとっては待ちに待った季節の到来です。中でも冬眠しないで細々と木の芽などを食いつないでいたウサギやリスたちは、緑の萌え始めた山々にホッとひと息つくことでしょう。やがて、かわいい赤ちゃんたちも巣から外界へと顔を出す時期。そして南の国で冬を越していた小鳥たちが少しずつ姿を見せ始めると、森は一気ににぎやかになってきます。

森の仲間たち
 
森のかわいい働き者たち
3月、まだ冬の気配が残る森に、忙しく立ち働いているのは、ネズミやリスたち。冬眠をしないアカネズミやニホンリスは、毎日のように食べ物を探してはチョロチョロと動き回ります。「貯食」といい、見つけた木の実などを埋めて蓄えておく習性があるので、秋の間にひたすら貯めた食糧を掘り返しているのかもしれません。でもよく見てみると…。埋めた場所を忘れてしまって、右往左往しているネズミも。ドングリや栗が新たな場所に芽吹くことができるのは、実はこんなうっかり屋さんのおかげです。
ニホンリスは暖かくなると赤茶色の夏毛に生え換わりますが、4月頃まではフサフサの長い耳当てを着けたような、灰色の冬毛を見ることができます。ほとんどの哺乳類が夜に出歩く中、日中動き回るリスは比較的見つけやすい動物でしょう。庭や窓辺に設けられた餌台でせっせと木の実をかじる姿は、眺めていて飽きないものです。かわいい姿に見とれていると、東南アジアから渡ってきたオオルリやキビタキが、鮮やかな羽色を見せてくれることもあります。

 
子育てシーズン―お母さんは大変!
そして春は、子育ての季節。木のウロなどに巣を作るムササビは、4月に出産時期を迎え、居心地の良いマイホームで赤ちゃんを育てます。時にはかわいい子どもたちが、好奇心に駆られて巣穴から顔を覗かせることも。緑が濃くなる夏の始めの宵には、お母さんのあとをついて木から木へと飛ぶ練習が繰り返されます。ちなみにムササビはメスだけが子育ての担当。天敵から子どもたちを守ったり、飛び方を教えたりするのも、すべて母親の役目です。軽井沢野鳥の森のピッキオビジターセンターでは、巣箱に設置したカメラでムササビの子育ての様子を見ることができますが、寝ている間に子どもたちにおなかの上で騒がれたり、巣穴を狙うカラスと闘ったり、子どもが独り立ちするまで約半年の間、どこか人間にも似たお母さんの苦労がひしひしと伝わってきます。
 
五感を澄ませて息吹を感じる
長野県下はどこも山が近く、自然が豊富な土地柄ですが、特に軽井沢は中心部まで緑が多く残されていることもあり、動物たちとの距離が近い場所です。ほんの少し気をつけるだけで、あちらこちらに彼らの気配を感じることができます。
たとえばイタチやテン。彼らはフンをすることでナワバリのアピールをするため、時には別荘地の道脇に細長い落し物を見ることもあります。キツネは同じくナワバリアピールで強い臭いを残します。動物園の檻のような濃い動物臭をかぐことがあれば、そこは彼らの散歩道かもしれません。警戒心の強い野生動物でも、こうした気づきやすいサインからリアルな生活を読み取ることもできるのです。雪が残る季節であれば足跡を追うのも楽しいでしょう。タヌキやカモシカが餌を求めて歩き回った痕、モデルのように気取ったキツネの歩き方、天敵をまこうとしたノウサギの大ジャンプ。残雪の上の小さなくぼみから、彼らの生き生きとした姿が浮かび上がってきます。
この地ではクマやイノシシたちも里近くまで下りてきます。サルはかつて碓氷峠の向こう、群馬県側にしか生息していませんでしたが、近年は分かれた群れが町中で見られるようにもなりました。彼らと共存するためには、人間側がどう距離をとるかということも課題になってきます。けれども、耳を澄まし、目をこらし、動物たちの生活にそっと心を寄せることができれば、多くの生命に囲まれた、いっそう豊かな生活を送ることが可能なのです。
 
取材・写真協力)ピッキオ