軽井沢ウエディングの品格

誓いの場にふさわしい静謐なチャペル。木々の緑と光に彩られた森のガーデン。季節の恵みを楽しむ祝福のテーブル。長い時の中で〝祈りともてなしの文化〞を育んできた避暑地・軽井沢には、神聖な一日のために、特別な時間を演出するとっておきの場所があります。
 新しい生活への一歩を踏み出すふたりに。その時を見守るすべてのゲストに。忘れられないメモリアルを刻むのが、軽井沢ウエディングです。

 

祈りの場の構築と定着
カナダ人宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーが、二手橋そばの小山に小さな別荘を建てたのが明治21年のこと。中山道の廃宿を移築改修したこの建物が、のちに〝教会の町・軽井沢〞を生み出すきっかけとなりました。明治時代、多くの外国人宣教師や外交官たちショーに倣って次々とこの地を訪れ、旧軽井沢を中心に、布教と祈りの慎ましやかな場を築いていったのです。
ショーが布教活動を行った教会は、今も「軽井沢ショー記念礼拝堂」として二手橋近くにたたずんでいます。下見板張りのシンプルな建物は、当時の宣教師たちがめざした簡素な暮らしを体現するかのように周囲の自然に溶け込み、決して主張しすぎることはありません。〝愛の教会〞の呼び名で堀辰雄の小説にも登場する「聖パウロカトリック教会」や、英国国教会の伝統を受け継ぐ「旧軽井沢礼拝堂」も、旧軽井沢エリアを代表する由緒ある教会。静謐かつ神聖な雰囲気の中に、明治・大正期からの、本物の信仰と歴史に支えられてきた風格を感じさせます。

 

重要文化財「旧三笠ホテル」での公開挙式誰もを受け入れる〝おもてなしの街〞
避暑に訪れる外国人が増えるにつれ、軽井沢で結婚式が挙げられることも多くなっていきました。やわらかな木漏れ日の下、陽光に映える純白のドレスと新郎新婦を迎える人びとの笑顔、温かな祝福の拍手。教会を舞台に繰り広げられる幸せなワンシーンへの憧れは、今も昔も、きっと変わらなかったにちがいありません。
そんな憧れを懐広く受け入れるように、星野エリアの「軽井沢高原教会」は文化人らが集った〝芸術自由教育講習会〞の自由闊達な風潮をいしずえにして、1974年には初めて信者以外の結婚式を開催し、軽井沢ウエディングの先駆け的存在となりました。
やがて、避暑地・軽井沢の〝もてなし〞の思想は、明治、大正期を経て、町のすみずみに定着していきました。旅籠「亀屋」が、軽井沢で最初の洋風ホテル「亀屋ホテル」(現在
の万平ホテル)としてオープンしたのは1894年のこと。次いで「軽井沢ホテル」や「三笠ホテル」が開業し、洋食やベッドのある本格的なホテルとして、清涼な寛ぎを提供するようになります。上流の人びとが求めるものに徹底的に対応する迎賓文化の成熟は、教会とともに、軽井沢にウエディング文化が根付く重要な要素となったのです。

 

想い出に残る一生に一度のその日のために
2009年4月、軽井沢観光協会の取り組みから、「軽井沢ウエディング協会」が発足しました。これは町内の教会や式場が中心となり様々な施設が連携し、軽井沢全体を〝ウエディングの街〞として知ってもらうためのもの。軽井沢ウエディングの歴史を学んだり、ウエディングのコーディネートやトレンドの勉強会を開催したり、さまざまなイベントを通して〝幸せの街〞をアピールしています。パンフレットとして発行された小
さな絵本『また軽井沢で会えたらいいね』では、プロポーズに悩む青年と〝ショーさん〞の交流をかわいらしく描きながら、軽井沢や周辺地域の魅力も紹介。地元小学生を対象にした模擬結婚式や、トレッキング、星空ツアーなどの企画も充実しています。
クラシカルな教会式から親しい人の前で誓いを交わす人前式まで、今や、結婚式のかたちは式を挙げる人の数だけあります。人生で一度きりの晴れの舞台を、どれだけその人らしく、ゲストへの思いの伝わるものにするかを模索することが、長きにわたって多くのカップルを受け入れてきた〝ウエディングの街・軽井沢〞の役割でもあるのです。