美しい村を彩る 花物語

深い木立ちに囲まれた軽井沢ですが、200年前は一面の大草原だったというと意外に思われる方が多いかもしれません。1783年の浅間山大噴火で軽井沢一帯は厚い火山灰に覆われ、ほとんどの植物が一時壊滅状態に。現在の緑豊かな別荘地風景は、その後の植林事業によって築かれたものなのです。外国人が初めて避暑にやってきた120年ほど前は、樹木がまだちらほらと生えている程度。大地は、太陽の光をたっぷりと浴びた小さな草花たちの楽園でした。
軽井沢を愛する人々の心には、そんな時代の面影を漂わせながら今も可憐に咲き続ける、軽井沢ならではの山野草を慈しむ気持ちがしっかり根付いているのです。

 

 


ゆうすげ野の花に魅せられて…
「湿地帯にはたくさんのアヤメと、とても大きな薄青のシソを見かけた。湿地帯は、全体に婦人の上靴のような黄色い花や、コルクの栓抜きに似たランの花に覆われていた。」これは明治時代『日本旅行案内』を著した、英国公使館二等書記官アーネスト・M・サトウの目に映った、明治18年当時の軽井沢風景です。

昭和初期に書かれた堀辰雄の作品『美しい村』でも、野薔薇・野苺・山葡萄・アカシア・躑躅・黄いろいフランス菊…など、主人公が逍遥する旧軽井沢一帯の植物が、重要なアクセントを効かせています。

小学校5年生の時に、軽井沢で疎開生活を送られた正田美智子さん、つまり現在の皇后陛下も、かつての「軽井沢風景」に心を寄せられるおひとりです。
平成14年に発表された御歌『かの町の野に もとめ見し 夕すげの 月の色して 咲きゐたりしが』は、レモンイエローの美しい花「ゆうすげ」の、軽井沢でのその後の様子に想いを馳せて詠まれたもの。
その翌年、13年ぶりに訪れた軽井沢町植物園で、自然のままに咲き誇る姿に安堵され、「末永く残されるように…」と、30年間皇居で大切に育てられてきた種子12,000粒を、名誉園長・佐藤邦雄氏に託されました。

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軽井沢町植物園
1975年開園。自生する高等植物1,000余種といわれる軽井沢は、昔から植物学者にとって貴重な研究調査の場でした。園内では、周辺の山林原野で蒐集されたものや園芸種も含め、約145科1,600余種を見ることができます。
■TEL.0267-48-3337 ■入園料/100円 ■開園時間/9:00〜16:30

参考文献/軽井沢町植物園の花(佐藤邦雄監修)・花のおもしろフィールド図鑑(ピッキオ編著) 
取材協力:軽井沢町植物園 
写真協力:小川慶喜・大林博美