避暑地の書斎 軽井沢を愛した作家たち

旧軽井沢「ショー通り」から南へ折れた細い小径に、純日本風の古い別荘が佇んでいます。詩人であり小説家の室生犀星は、大正9年に初めて軽井沢を訪れて以来終生この地を愛した文士で、“こおろぎ箱”と呼び親しんだこの家で、堀辰雄・立原道造・津村信夫ら若き後輩たちを温かい眼差しで見守った逸話は、軽井沢と文学の永い歴史のはじまりを象徴する風景として伝説のように語り継がれています。

軽井沢の涼風の中でペンを走らせた作家は、有島武郎・正宗白鳥・川端康成・北原白秋・芥川龍之介・円地文子・吉川英治・芹沢光治良・野上弥生子・石坂洋次郎・柴田錬三郎・井上靖・横溝正史・野村胡堂・神谷美恵子・中村真一郎・福永武彦・加藤周一・三島由紀夫・加賀乙彦・辻邦生・遠藤周作・矢代静一・北杜夫…と枚挙にいとまがありません。現在も内田康夫・藤田宜永・小池真理子ら当代きっての書き手たちが、仕事場を構えたり執筆の一拠点にするのも、インスピレーションを湧き立たせる自然環境とともに、避暑地としての百年間が培った “周囲から干渉されない無類の心地よさ”が備わっているからに違いありません。

 

 

美しい村■戦前の文士が描いた軽井沢

堀 辰雄
〔1904-1953 /詩人・小説家。19歳の時、室生犀星の知遇を得て軽井沢を訪れて以来、49歳で亡くなるまでこの地を創作拠点とした〕

ある日のこと、私は自分の「美しい村」のノオトとして悪戯半分に色鉛筆でもって丹念に描いた、その村の手製の地図を、彼女の前に拡げながら、その地図の上に万年筆で、まるでスイスあたりの田舎にでもありそうな、小さな橋だの、ヴィラだの、落葉松の林だのを印しつけながら、彼女のために、私の知っているだけの、絵になりそうな場所を教えた。〔『美しい村』より〕

私の借りた小屋は、その村からすこし北へはいった、ある小さな谷にあって、そこいらにも古くから外人たちの別荘があちこちに立っている、ーなんでもそれらの別荘の一番はずれになっているはずだった。そこに夏を過ごしに来る外人たちがこの谷を称して幸福の谷と云っているとか。〔『風立ちぬ』より〕

 

 

立原道造詩集立原道造
〔1914-1939 /詩人・建築家。堀辰雄の愛弟子として昭和9年から13年までたびたび軽井沢や追分を訪れるが、肺病のため24歳で夭折〕

夢はいつもかへつて行つた 
山の麓のさびしい村に 
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない 
しづまりかへつた午さがりの林道を
〔「のちのおもひに」『萓草に寄す』より〕

 

 

本格小説■軽井沢が舞台になった近年の小説

水村美苗
『本格小説』〈旧軽井沢と追分の別荘を舞台に全編に軽井沢が薫る壮麗なロマンス〉

モミの木の並木道はまっすぐ続いた。歩くにつれ、生垣の間から広い庭が次々と見え隠れする。手入れが行き届いているとみえ、どの庭もあまり雑草も落葉もなく、代わりにやわらかそうな緑色の杉苔が庭一面を覆い、絨毯が敷き詰められたようであった。そしてその苔の絨毯のあちこちにさまざまな木−白樺や樫や紅葉がてんでに影を落とし、その木立の向こうに、思い思いの形をした建物がひっそりと建っていた。
(中略)それでいて両側に高くそびえるモミの木がこの並木道ができてからの年月を感じさせるせいだろうか、あるいは生垣の間から見え隠れする苔庭が数代にわたる人の丹精を感じさせるせいだろうか、それともたんに祐介の頭にある軽井沢をめぐる断片的な知識のせいであろうか、長い時の流れにゆっくりと熟していった贅沢があたりの空気に濃密に漂うようであった。

 

恋小池真理子
『恋』〈美学に彩られた妖しい三角関係が軽井沢のひと夏から幕を開ける〉

国道十八号線沿いにある中軽井沢駅前を通り過ぎ、追分方面に走る途中の右手に小径がある。その小径から五百メートルほど奥に入ると、行き止まりに背の低い、苔むした石造りの門が現れ、そこが片瀬夫妻の別荘の入口になっていた。地図の上では、千ヶ滝西区と呼ばれている別荘地のはずれに位置していたが、正確には千ヶ滝地区とは区別されており、住居表示は古宿だった。

 

 

取材協力/軽井沢高原文庫