軽井沢・歴史の道を歩く

お気に入りの散歩道を見つけよう!

古くからの別荘地に美しい落葉松並木が続く「三笠通り」、天皇陛下にお茶を供した涌き水がそばを流れる「御水端通り」など、軽井沢には歴史的エピソードを持つ道がたくさんあります。明治時代半ばに避暑客として登場した外国人たちも、碓氷峠見晴台を「サンセットポイント」、雲場池を「スワンレイク」といった具合に、親しみをこめたニックネームで呼びました。こうした大切な歴史の逸話が忘れ去られることのないようにと、軽井沢では歴史愛好家らによる「歴史の道プロジェクト」が結成され、道の名前の選定が行なわれました。
春の陽を浴びながら、古き良き時代が薫るとっておきの散歩道を歩いてみるのはいかがでしょう。

 

photoまずは軽井沢駅北口から「軽井沢本通り」(コラム参照)を経て「万平通り」へ。森裏橋を右に折れた一角には「サナトリウムレーン」(ささやきの小径)と 「堀辰雄の道」(フーガの径)があります。かつてこの場所に、軽井沢を描き続けた作家・堀辰雄が一時期を過ごした1412番別荘(現在、軽井沢高原文庫に 移築)、チェコスロバキア公使館の山荘、マンロー病院(サナトリウム)などが建っていました。堀の名作『美しい村』では、公使館から流れるバッハのト短調フーガ、野薔薇の可憐なつぼみ、アカシアの香りなどに心惹かれながら、この界隈や聖パウロ教会前の「水車の道」を散策する主人公の心象風景がくり返し現われます。

堀が婚約者を失った傷心の中で『風立ちぬ』の終章−死のかげの谷−を書き上げたのは、万平ホテル裏手の「ハッピーバレー」(幸福の谷)に建つ川端康成氏の別荘でした。〝こんな人けの絶えた、淋しい谷の一体どこが幸福の谷なんだろう〟と呟かせたのも無理からぬほど、細い石畳みの小径は今もひっそりと静まりかえり、ロマンチックでどこかはかなげな堀文学そのものの雰囲気をたたえています。

ここから矢ヶ崎川をさかのぼり外国人宣教師施設〝チームセンター〟の前を通ってショー記念礼拝堂に出る道は、むかしから「お気持ちの道」の名で呼ばれています。

軽井沢に最初の別荘を建てた宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーにちなんで名付けられた「ショー通り」は、旧軽銀座通りと平行する一本南側の道で、彼の別荘があった大塚山へと続いています。その途中にある「犀星の径」は、作家室生犀星が40年以上の夏を過ごした日本風の別荘が残る風情あふれる小径、堀辰雄・立原道造ら若き詩人たちが出入りした往時を偲ばせています

万平通りとショー通りを結ぶ道には、かつて別荘の人々が音楽会や講演会などの催しを楽しんだユニオンチャーチの大講堂にちなんで「オーディトリアム(講堂)通り」の名が付けられました。教会の向かいにある軽井沢会テニスコートは、昭和32年に皇太子時代の天皇陛下と正田美智子様が初めて出逢われた運命の場所。コートで芽生えた世紀のロマンスは国民を歓喜の渦に巻きこみ、その後も皇太子時代の御一家と軽井沢は深いつながりで結ばれました。昨年、13年ぶりに軽井沢を訪れた両陛下は、早朝のお散歩にこの界隈を選ばれ、懐かしげに想い出の道を辿られました。

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